【幸せになる習慣】たった一つの習慣を変えるだけ
こんにちは
心理カウンセラー大山です。
今日は幸せになる習慣
たった一つの習慣を変えるだけで幸せにしかなれなくなるお話です。
このようにこのチャンネルでは心理学を用いて豊かになる方法をなるべく分かりやすくお伝えしたりします。よかったらチャンネル登録を今すぐに押してください。
それでは今日も張り切って参りましょう!
自分の幸せって何だろうって考えたことがあるでしょうか。
もうすでに幸せを感じている人でまだ習慣にしていないのであればもっと幸せになれるし、まだ幸せと不幸を行ったり来たりしている人もいると思います。
今回はどんな方でもたった一つ習慣を変えるだけで幸せを感じられる体質になるというお話です。
幸せを増やすことができるのは自分だけ
幸せとは不思議なもので感じ方によって状態に関係なく左右してしまうものです。つまり幸せとは形のないものなんです。
周りから見るとお金もあって健康で何不自由なく暮らしている人でも幸せと感じない場合があります。
一方で、先ほどとは逆にお金がなくても、ちょっと持病を持っていたとしても幸せに暮らしている人もいます。
では、その差は何なのか?
それは「言葉」です!
自分が普段使っているのが自分を創っています。
これは今の幸せだけでなく、未来も過去も変える力を持っています。言葉を変えるだけで幸せが増えるようになっています。
昔から言い伝えられている「言霊」
この言霊を知るだけ、これを実践するだけで幸せになったも同然なんです。
どうですか?
ちょっと怪しいですよね。
今回は、幸せになるための習慣のお話なので、幸せ過ぎる人は習慣にしない方がいいかもしれません。
言霊とは
言霊とは?
言霊というのは、発した言葉が音としてだけではなく、その言葉が魂をもち、その言葉のきっかけで現実に何かしらの影響を与えるという物です。
この言霊というのは日本では古く昔から信じられていて、現在でも言霊を信じている人は多くいます。現代においても言葉に呪術的要素を認める言霊の思想は残っています。
しかし科学的根拠などもなく、こういった言霊を信じてしまう人はスピリチュアルな人という目で見られる事も多いですが、現実に言葉が体などに与える影響というのはかなり大きいのです。
引用元:https://www.minden.jp/clover/kotodama_power_happy/
言葉で変わる生活
普段から綺麗な言葉を使っていると、脳は幸せになる根拠を探し始めます。根拠探しって何?って思ってしまうかもしれませんが、実は私たち人間は幸せになるうように作られているんです。
そして、誰にでもある脳はあなたがどんなことで幸せを感じるかを聞いています。楽しいという言葉で幸せを感じることを察知すると脳は次から楽しいことで幸せを感じることをあなたに伝達し始めます。
脳と心は繋がっていますので、嫌なことで幸せを感じられないのは嫌なことは辛いという伝達をするからなんです。
ポジティブな情報を脳に送り続けるとどうなるでしょうか。
ここで言うポジティブな情報というのは先ほども言いました言葉です。
脳は常にあなたの幸せを感じる想いを集めて蓄積して行きます。
この脳と心の連携を心理学では「認証バイアス」と呼びます。
心が受け止めたままの感動を集めて蓄積することで、そこに意識が偏り感動するモノなどに敏感になるんです。そして同じよう幸せを感じる体験を探したりするのです。これは、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のことで、認知バイアスの一種なのです。
つまり、言葉を使い幸せに偏らせることで不幸には傾かなくなるんです。不幸にはならないということになります。
まとめ
まず最初に言葉、次に脳がその言葉に寄せた思考を集め始めます。
最初に一度文句を言ってしまうと、悪いところばかりを探してしまうのも認証バイアスということです。
そして、悪いことばかりを捉えるので、悪い現実しか感じられなくなります。脳はあなたの求めていることに忠実に従います。
ネガティブな言葉を発すると、ちゃんとネガティブな情報だけを集めてくれます。現実になるのは最初にネガティブな言葉を使ったからなんです。
そうするともれなく不幸になれる訳です。
これを心理学では「予測の自己実現」と言います。
バイアスには種類があり、意味的には偏りというような意味を持ちますので、言葉が思考を作り、それを目指すように脳が証拠を集め始め、そこに気が集まるので不幸にも偏る結果になります。
ポジティブな言葉を使えばそれを認証した脳が明るい現実を捉えてくれます。逆にネガティブな言葉を使っていると答えは分かると思います。
どちらを選択するかはあなた次第です。
ということで、今日は幸せになる習慣をお伝えしました。
最後までありがとうございました。